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本当ならば今ごろ
僕は京セラドームでの開幕戦に出かける用意をしていたと思います。
皆さん御存知のとおり東日本大震災の影響で
プロ野球のスタートが4月12日に延期となりました。
ある時に金本兄貴が「野球どころじゃない。」とコメントされていました。
野球一筋の鉄人の言葉なだけにとても印象的でした。
セ・リーグがあのまま強引に今日開始してたら
僕、そして多くの人が
どこかしっくりこない気持ちのままドームへのあの道を歩き、
どこか後ろめたい気持ちのままビールを注文していたのではないでしょうか。
なのでセパ同時開催には正直“ホッとした”の一言です。
新井選手会長の尽力に改めて感謝し
晴れて来月12日に甲子園へ足を弾ませたいと思います。

我々関西の人間は何一つ不自由なく暮らしています。
いろんな声が飛び交う中、やみくもに自粛せず
西日本の人間がお金をいっぱい使って経済を活性化させるべき
という意見には基本的に賛成です。
もちろんできる協力はさせてもらった上で
あまり負い目は感じずに日本が元気になると信じ
ありがたく おいしいご飯においしいお酒、
そしてシビれるプロ野球にお金を使わせてもらおうと思います。


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 イギリスで語学留学をしていた時の話です。
お世話になっていたホームステイ先のお父さんは通訳の仕事をされている
イタリア人の方で、ある時 僕の名字であるTERAMOTO(寺本)が
イタリア語やスペイン語では“地震”を意味する言葉であると
教えてくれたことがありました。
それからしばらくたったある日の朝です。いつものように寝ていると
普段入ってくるはずのないそのお父さんが僕の部屋に入って来て
「KAKU、お前の国でTERAMOTOだ!」と僕の体をゆするのです。
正直気持ち良く寝ていたのを起こされたのと「TERAMOTO!」を連呼する
お父さんが不愉快になり「なんやねん!うちの国地震多いねん!
わざわざそんなことで起こさんといて!!」と思いましたが
あまりにしつこく言うのでベッドから降りて居間に移動しました。
そして愕然としました。

テレビに映っていたのは燃えさかる神戸の街でした。

西宮に住んでいる家族とはすぐに連絡がとれましたが
バイト仲間であった数人の神戸の友だちとはずっと音信不通のままです。
大使館に行けば安否がわかると聞いて藁にもすがる思いで
日本大使館に行きました。 (幸いみんな無事でした。)
遠く離れた土地でじゅうぶんな情報が得られず不安がつのる僕に
イギリスの人たちはみんなただただ静かに優しく接してくれました。

寒さ、飢えと渇き、眠れない不安、僕らの想像を越える苦しみだと思います。
何も協力ができずもどかしい気持ちはつのりますが
いろんな被災現場を取材された あるラジオのパーソナリティさんが
「来たる時まで何もしない勇気も必要。」と語られていたのと
あの時のイギリスの方々の行動が僕の中でどこか重なるところがあります。
今はまだ“できること”を慎重に考えてそれに備える段階かもしれません。

東日本大地震により被害を受けられた多くの皆さんにお見舞い
申しあげますと共に、一日も早い復旧を心よりお祈りいたします。


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 最近ジョギングを始めました。

なぜだろう? なぜかしら?

それはまもなく開催されるリレーマラソンに
ラジオのスタッフと出場することになったからです。

中学・高校で陸上部の長距離をしていたのに
ちょっとジョギングしただけで数時間後に体は動かず翌日ボロボロ。

なぜだろう? なぜかしら?

それは走っていたのは20年近くも前の話で
今ではすっかりダメダメの酒飲みメタボになったからです。

なのに今のところは雨が降ってもスケジュールどおりに
ジョギングを続けています。

なぜだろう? なぜかしら?

それは三日坊主で練習をやめないために
ちょこっとお値段高めのシューズとタイツを買ったからです。

あー、一人4~6kmの担当とはいえこれはえらいこっちゃー!

瀬古さん、宗兄弟さん、そしてゲブレシラシエさん、
あたしにほんの少しだけ“走る元気”をわけて下さい。

お~ね~が~い~し~ま~す~か~ら~。


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2011.03.01 風景退化論5
 ロッテへの人的補償として高浜選手が移籍することになりました。
オープン戦でのイキのいいプレイで今年こそ一軍での活躍が見れると
楽しみにしていた矢先にこれでっか? あまりにも殺生やおまへんか?
まあ僕が「いやや!いやや~!」と暴れた所でどうしようもありません。
高浜選手にはロッテでがんばってもらい久慈はんのように10年後ぐらいに
戻ってきてもらいましょう。  あー、外は悲しみの雨ですわ…。

で、今日は映画館の話です。
一月の『レッチリ』公演のバタバタの間に
浪花の映画好きにとって“最後の城”であった
松竹会館こと梅田ピカデリーが閉館しました。
『ガンダム 哀戦士編』を小4の時に観たのが最初の記憶です。
あの頃はチケットの座席予約とかなかったんで
席を取りたいから前の回の上映中に劇場の中に入って
はしの通路や後ろの方で終わるのを待ったりしました。
内容は知りたくないので目と耳ふさいだりしましてね。
で、エンドロールとかに席を立った人のところへババっと走って
自分の席を確保するわけですね。
観てる人からしたら迷惑な話なんですが当時は結構普通でした。

『風の谷のナウシカ』の初日に朝から友だちと並んだなー。
人でごったがえす中で『E.T』のグッズとか買ったなー。
『学校』で泣きすぎて目をはらしてしまい下むいて帰ったなー。
ああ、もうピカデリーで映画観たあと
泉の広場の古譚でラーメンすすりながら感想言いあうこともないのねー。
え、興味ないっす?

三番街シネマ、東映会館、そしてピカデリーもなくなってしまいました。
ナビオ阪急の上も昔の面影はありません。
(堂山のモーホー劇場をのぞいて)本当に梅田そして難波から
“Maid in 昭和”の映画館が消えてしまいました。
気がつけば天六シネ5ビルから手描きの上映作品看板がなくなっています。
これは非常に危険な状態ではないでしょうか。

昔は良かったと声高に叫ぶつもりはありません。
建物の老朽化や不況による効率化もあるでしょう。
しかしそこにあった思い出の風景がめったやたらと無くなり続けるのも
残念すぎる話ではないでしょうか。
ちなみにピカデリーのかわりとして新しい大阪駅に
関西一でっかい「ステーションシティシネマ」というのができるそうです。
へえ、そないだっか。 ってゆーかもうシネコンよろしいですわ…。

解体を待つピカデリーの前を歩くのが切ないです。
悲しみの雨はしばらく止みそうにありません。

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